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医師紹介

名誉院長 鈴木由一

資格 

耳鼻咽喉科学会認定専門医・医学博士

学歴

1974 関西医科大学卒業

経歴
  • 京都府立医科大学耳鼻咽喉科学教室入局
  • 京都第一日赤、京都市立病院、鞍馬口病院など関連病院で研鑽を重ねる
  • 1978~当院継承
  • 近隣小学校・幼稚園の校医として長年従事

院長 鈴木学

資格

耳鼻咽喉科学会認定専門医・医学博士
難病指定医(京都市)・身体障害者福祉法指定医師
嚥下機能評価研修会・緩和ケア研修会修了

学歴
  • 京都市立聚楽小学校・滋野中学校卒業
  • 1996 洛南高校 卒業
  • 2004 大阪医科大学(現 大阪医科薬科大学) 卒業
経歴
  • 2004 大阪医科大学附属病院 臨床研修医
  • 2006 大阪医科大学 耳鼻咽喉科 入局 
  • 附属病院でのレジデント研修を経て その後関連施設にて研鑽を重ねる
  • 2007 済生会吹田病院 
  • 2008 済生会中津病院
  • 2008 洛和会音羽病院 
  • 2013 大阪医科大学耳鼻咽喉科学教室 助教
  • 2017 済生会吹田病院 医長
  • 2018 市立ひらかた病院 部長
  • 2022/4~ 当院

ご挨拶

以前から通院いただいていた方も、新しくおいでになる方にも、安心して受診いただけるよう精一杯努めて参ります。
何卒、お知りおきのほど、お願い申し上げます。

当院の沿革と、継承についてのご挨拶(のようなもの)
当院は医師会誌の記録によると、明治41年、京都府立医科大学の前身の医学専門学校を卒業した初代・恒平がこの場所で開院したということです。また、現在の建物については、当家の屋根裏の上棟式の棟札からは昭和2年に建設されたようで、またその建設作業中は、当院から少し西の、今も現存する京町家をお借りして診察を行なっていたそうです。
ということで、建物自体の歴史としては昭和ひと桁からということで、今の建物はもうすぐ築100年を迎えることとなります。その間、二代目・由夫、三代目・由一と続いてまいりました。ひとつの診療所として100年同じ建物で耐えてきたところは他にあまりないそうです。同じ町内には同じくらいの歴史をもつかつての眼科医院がレストラン兼旅館として、またすこし北側の大きく立派なお屋敷は大学のリモートキャンパスとしてと、今や用途を変えて活用されていますが、いわゆる本来の京町家は少しずつ姿を消しつつあります。

私が当院で仕事を始めてから、以前から通院されている方々、建物を知る皆様より大変暖かいお言葉をいただくことが多く、「洋館を大事にしてほしい、残してほしい」とのお言葉を多数お伺いしておりました。私自身も古い時代の話を度々親類から耳にしておりましたし(祖母曰く「戦時中に米軍のビラが大きな束で落とされてきたが、すぐに憲兵が回収していった/祖父が出征の挨拶でみかん箱に乗ったら、突然底が抜けてみんな大笑いした」だとか、大叔母曰く「家の前を通る市電に硬貨を轢かせてぺしゃんこにして遊んでいた」など…)、屋根裏の倉庫にはガラクタではありますが古い品物が多く、遠い時代とのつながりを感じさせる建物に愛着を感じておりました。しかし一方では、その古さや不便さに不安もあり、継承を念頭に置いて改築改装を考え、色々と回って相談させてもらいました。建築屋さんの中には「全部更地にしてイチからやり直したほうが安うつきまっせ」とお話される方もそこそこおられました…。
2018年9月の台風の際、その強い雨風のために、看板が傾き、雨漏りが起きるなど、当院の建物の老朽化があらわとなりました。関西空港への橋に船が激突した、あの台風です。
私は当時まだ大阪の病院に努める勤務医でしたが、関西を台風が直撃するその前日に職場異動して初日でした。当日は台風に備えて京阪電車が止まるとのこともあり、車で出勤せざるを得ないということになりました。病院ですら一時停電し暗い照明などの非常電源に切り替わる、窓から見える外は凄まじい暴風雨、排水溝は川のようにあふれ通行人は全くいないといった状態でした。帰る頃には少し雨風も落ち着き、ゆっくり運転しながら帰りましたが、たくさんの木々や看板が倒れ、信号機が傾き、コンビニは真っ暗と、街の一角だけですまない広範囲の停電を目の当たりにしました。
台風一過の翌朝、出勤のために普段の通勤ルートを出町柳駅を目指して自転車で走りましたが、その途中で御所の中では台風の強さを物語るかのように木々が多数倒れ枝葉が散乱していました。そして出町橋のたもとの鯖街道の石碑の横の柳の木ですら幹が大きく裂けて倒れていたことが強く印象に残っております。
もし遠くない将来、同等かそれ以上の規模の台風ないしは地震が来れば、建物自体が持たないのではないか…という危機感を強く持った出来事でした。
それより以前から、色々と建築展示場に行ったり建築士さんにお会いしたり、区役所の町家保存のイベントに行ったり町家や古民家を改造した本を買い集めるなど、いつか来るであろう改築に備えているつもりではいましたが、具体的にはさてどうしてよいのやら、と、時間ばかり経過していたところ、「あっこれはあまり余裕ないな」と強い実感を持つに至ったきっかけがこの台風でした。
私の曽祖母はその昔「地震があったら診察場の建物へ逃げなさい」と言っていたそうで、それくらい頑丈に作られていると聞き及んでおりましたが、結局、改装中に色々と問題点が判明し、天井、壁、床の補強のため、当初の見通しより工期を延長せざるを得ませんでした。ただ、次の世代の皆様、地域の若い方々に、歴史を感じていただけるような内装となっているのではないかと、自己満足ではありますが思っています。
着物が普段着だった時代に建てられた古い建物を残し、しかもその建物を、新型コロナという厄介な病気がはやっている最中に、普通に現代の医療を行うクリニックとして運営していけるように作り変えることは難しい問題でしたが、多数の建築士さん、大工さんのご協力を得て何とか折り合いがつけられたのではないかという確信しております。心より感謝申し上げます。
ただ、残念ながら、バリアフリーではなく、手すりもありません。また、お子様が安心して遊べるといったようなキッズコーナーを備えた内装でもありません。正直、この点についてはご迷惑をおかけすることもあり、申し訳ございません。
当院は耳鼻咽喉科開業医院としては国内でも比較的初期から続いているほうと思いますが、一方京都においては「明治生まれはよちよち歩き」などの言葉もあります。
さらに歴史が長いからといって特に当家に代々伝わった秘伝の薬や技術があるわけではございません。長く続き味や技術を伝える料亭や職人さんの世界とは違い、10年前の常識が今日にも覆されるような医療の世界においては、ただ長く続いたことだけをよしとできません。新しい知識や医療技術を積極的に学び取りながら、皆様の信頼に足る医院として毎日努力を重ねていく所存です。どうぞよろしくお願い申し上げます。
どうか皆様におかれましては、またご希望などお気軽にお伝えいただけますと幸いに存じます。
どうぞこれからも当院をお願い申し上げます。

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